お祭りに行こう

お祭りに行ってきました。

 

カジョオチョフェスティバル。

まあカーニバル的なサムシングらしいです。

 

カジョオチョってのはエイトストリート、8号線って意味で

この界隈は別名リトルハバナとも呼ばれてて

ヒスパニック全開な地区として有名です。

 

なんで完全にノリがラテン系で

ハチャメチャな祭りだと聞いてました。

 

職場のスタッフから行ってみたらと勧められたんですけど、

みな一様にちょっと顔をひきつらせて

とにかく無事に帰って来いと言ってくれました。

なぜ勧めたし。

 

で、ちょっと気を張って乗り込んだわけですが、

 

全然普通のお祭りでした。

 

 

見て回ったのが午後の早い時間だったからというのも

あるのでしょう、家族連れもたくさんいて全然安全。

 

普段は車通りで賑わう通りを歩行者天国にして

両側には縁日さながら露天がズラリ。

 

アレッパとか(大判焼きみたいな形でとうもろこしの生地にチーズが入ってる)

焼きトウモロコシとか(もちろん醤油は塗られてない)

タコスとかレモネードとかBBQ串とか。

 

射的じゃないけど、バスケットリングにボールを入れる遊びとかもあって。

いくつか設置されたステージの上ではDJが音楽ガンガンかけて

お客さんを煽って盛り上げたりして。

 

本当に日本の祭りの屋台とおんなじような感じで

似たような露天が延々と続いていて

みんな楽しそうに歩きながら飲んで食べて。

 

 

異文化を感じるというよりは、

人の営みの変わらなさを感じたりしました。

 

ただお祭りって、やっぱり自分の地元の祭りじゃないと

どこか楽しめないというか、振る舞いがぎこちないというか。

 

お祭りの起源というか成り立ちが、

共同体の連帯を高めるという目的から始まっていたりするからか、

自分の依拠する共同体じゃないと

アウェイ感を感じたり。

 

これは海外とか日本国内とか問わず感じたりするものですが。

 

 

ま、そんなことを言いつつも

ほとんど夏みたいな強烈な日差しの下、

人混みを縫って露天を冷やかしながらのんびり歩くのは

楽しいことで。

 

年がら年中夏みたいなマイアミでも

こうした年中行事を通して季節の移ろいを

想ったりするのかもなぁ、なんて考えていました。

 

 

あと女の子。

 

日本だと祭りといえば浴衣!

浴衣のあの得も言えぬ色香!そこはなとない妖艶さ!

うなじ!くるぶし!

 

なんですけど、

さすがマイアミ。

 

ほぼ水着みたいな格好でドシドシ歩いてく。

そんで腰をくねらせてダンス。

ビバマイアミ。

 

 

ここらへんはカルチャーショックというか、

でもどっちもいいもんですね。

 

 

 

もののなまえ

万物には名前があります。

ものすごく不思議ですよね。

存在しないものにも名前はあります。

認識できるからです。

 

たとえばお化け。

お化けの存在は証明されていません。僕の知る限り。

でもお化けという名前はみんな知ってます。

見たこともないけど、お化けという概念を認識しているからです。

 

またわれわれの世界には異なる言語が存在します。

異なる文化、異なる名前。

 

異国で暮らしていると、

「そういえば、これって英語でなんていうんだろう?」と

思うことがたくさんあります。



今日職場で僕はバインダーを探してました。

バインダーですよ、バインダー。

あの硬い板の上にクリップが付いてて紙とか挟むやつ。

小さい頃習字に通ってたとき、紙を置いて練習させられたやつ。

工事現場とかでヘルメット被ったスーツ姿のおっちゃんとかが小脇に抱えてるようなやつ。

 

あれがどっかになかったかなーと思って

物置を探してました。

 

・・・なかなか見つからない。

でもアメリカでも見かけたことはあるから、バインダー自体が存在しないわけじゃない。

 

そんでそのときふと「バインダーって、英語でなんていうんだろう?」

と思いました。

 

バインダー。

 

いかにも和製英語くさい。

とりあえず”binder”みたいな感じで英語っぽい発音を想像してみる。

・・・「こいつ何言ってんだ?」みたいなリアクションされそう・・・。

説明しようにも、ボードみたいなやつにクリップが付いてて・・くらいしか思いつかん。

やっぱり電子辞書先生に聞いてみるべきなのか。

 

などと考えていたら、結局ラックの隅にバインダーを発見!

意気揚々とバインダーを抱えてオフィスに戻った僕は

試しに他のスタッフに聞いてみました。

 

「これって何て呼ぶ?」

 

「クリップボード “Clipboard”」

 

「な、なるほど。。ちなみにおれらはバインダーって呼んでるよ」

 

「バインダーって言ったらこれでしょ」

 

そういって取り出したのはファイル。

アルバムみたいなタイプのファイル。

 

「それはファイルじゃん」

 

「ファイルって言ったらこれでしょ」

 

そういって取り出したのは紙のファイル。

クリアファイルの紙バージョンみたいなファイル。

 

「それもファイルだけど、バインダーもファイルじゃん」

 

「じゃあ全部ファイルになっちゃうじゃん!」

 

「いやそもそも全部ファイルでいいんだよ!」




なんだかややこしい。

こういう地味ぃ~な違いみたいなの、ありますね。

 

万物に名前があります。

それで似たようなものを区別するために名前をつけたり

つけなかったりするわけで。



僕らの思考が名前を通じて概念を認識するところから

スタートしている限り、

同じものを違う名前で眺めてみることは

いつだって新鮮な驚きに溢れています。

 

それもまた異国で生きることの楽しみのひとつと言えるでしょう。

もののなまえのもののあはれ。

いとおかし。

 

気持ち悪い、とか言うなよ・・

今、僕の手元には一冊だけ漫画があります。

 

新世紀エヴァンゲリオンの単行本14巻。

 

これは先月マイアミに遊びに来た際にみやむーさんが

お土産として持ってきてくれたものです。

というか僕が来る人みんなにお土産として、なんでもいいから

本を持ってきてくれとお願いしたもののなかの一冊です。

 

この漫画が発売されたのは2014年の11月なんで、

僕がマイアミに来てから発売されたことになります。

 

そして新世紀エヴァンゲリオンの漫画、通称貞本エヴァは

この14巻を以って完結となります。

 

第一巻が発売されたのはアニメ版(庵野エヴァ)が公開された

1995年頃なので、連載約20年で完結を迎えたということです。

 

 

ちなみに僕がエヴァと出会ったのは貞本エヴァが最初です。

当時中学1年生でした。シンジくんたちと同い年。

 

そりゃやばいくらいハマった。のめりこんだ。

 毎晩ネットでエヴァ関連のサイトを漁った。

カバラとかリビドーとか怪しげな単語ばかり履歴に残ってた。親が見たら卒倒しただろうなぁ・・。

 

というわけで思い入れたっぷりの貞本エヴァなわけですが、

せっかくブログなんてやってんだから、好きなだけ語ろうかなって。

14巻だけじゃなくて、貞本エヴァそもそも論なんてぶっちゃおうかなって。

 

なんで、ここからはネタバレのオンパレードマーチです。たぶん。

見たくない方興味の無い方は速やかに退避して下さい。

 

 

 

 

 

はい、それではいきまーす。

 

まず、貞本エヴァなんですが・・

 

ぶっちゃけ漫画としてはあんま上手くないと思ってます。

これは決して面白く無い、というわけじゃありません。

 

ただいわゆるジャンプに代表されるような王道路線や

その他第一線で人気を張っている作品に比べると、漫画としての演出がぎこちないように思えます。

 

戦闘シーンの描写なんかは凄く迫力があるんですけど、

日常シーンになると途端にぎこちなさが出てきます。

 

おそらく実際のシーンの流れに対して、コマ数が少ないんだと思います。

それゆえシーンが飛ぶというか、一コマの情報量が多くなるというか

流れが少し淀んで見えてしまってるんだと思います。

 

また絵がべらぼうに上手いんで、その分余計に一枚の絵に引き込まれて

流れが途切れるような印象になるんだと思います。

 

なんていうか、この違和感みたいなのが貞本エヴァ最大の特徴つーか、

魅力つーか。

エヴァの違和感だらけの展開にマッチしてるというか。

 

 

あとね、庵野エヴァとの最大の違いは碇シンジくんです。

 

庵野エヴァだと、シンジくんは一見弱っちくて他人に関わりたくなくてダメダメで、

でも実は根はいい子で人によく思われたいという素直な駄々っ子というイメージです。

 

ところが貞本エヴァだとちょっと違います。表と裏が違います。

 

貞本エヴァのシンジくんは、実はそんなにいいやつじゃありません。

どっちかというと外面はいいやつっぽくて、ソツなくこなすような感じですが、

内面ではジメジメしてて尖ってます。

 

端的にいうと、貞本エヴァでは最初にエヴァに乗るとき、あの台詞を言いません。

 

「逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ!」

 

 

どっちかっていうと、

「乗りゃいいんだろ!?」くらいの感じで乗ります。

 

 

などと話しつつも、主人公の性格が多少違かろうが

物語の筋は同じなのでおんなじような展開を進みます。

 

そして迎えた最終巻。

庵野エヴァの旧劇をなぞるような形で物語は進み、

初号機を依り代として人類補完計画が発動。

 

旧劇ではこの後、頭がおかしくなるようななんやかんやがあって、

アスカに首絞め→気持ち悪いの絶望コンボで終劇。

 

でしたが貞本エヴァは違う。

ちゃんと広げた風呂敷を畳む。

 

まずゲンドウとユイの物語を一応完結させる。

これがないとシンジくんの再生がいまいちピンとこないし。

 

ほんで、LCLの海の中。

ここでシンジくんが庵野エヴァよりもシンプルに能動的に

他者のいる世界を望みます。

そしてここできちんと綾波との物語も完結。

 

一つ一つ丁寧に、物語の完結を目指します。

ここらへん、もしかしたら賛否あるかもしれませんね。

 

というのも、一つ一つの話をきちんと畳んで整理すると綺麗になりますが、

それ故TVシリーズ終盤や旧劇にあった迸る激情や抑えきれない熱情みたいなのは

失われますからね。

あるいはこれだけの風呂敷を広げたのだから、もう少しダイナミックで

ドラマティックなラストにすることもできたかもしれません。

 

でも、きちんと物語の風呂敷を広げて、それを畳むというのは大変なことです。

それは誰にでもできることではないし、いつでもできることではありません。

 

そうした意味でも、貞本エヴァはぼくたちに

エヴァのひとつの終わりをきちんと提示してくれました。

20年経ってようやく。

 

 

そして貞本エヴァオリジナルの最終話。

 

冒頭から雪。雪に次ぐ雪。豪雪。

そう、ここはセカンドインパクト後の世界ではない。

あの夏しか季節のない世界ではない。

・・もしかしたら今度は冬しか無い、って可能性はあるけど。。

 

ちなみに14巻の表紙も思いっきり雪なんすよね。

 

んで、なんやかんやでシンジくんの生まれ変わりとアスカの生まれ変わりが

再会して、急転直下ジ・エンド。

 

旧劇でも最後まで出番があったアスカで、間違いなくヒロインポジションなんですけど、旧劇だとシンジくんの鏡というか代弁者的な役割を担いすぎていて。

 

でも貞本エヴァだとちがーう。

まずアスカも人類補完計画でLCLの海にどっぷり溶けます。しかも加持さんと。

ヒロイン失格ー。

 

でもだからこそ、最終話でああいう普通の王道ヒロイン的な

出会いのシチュエーションを用意することができたと。

今後こそ君だけは助けるよ、と。

 

 というわけで、貞本エヴァはきちんと未来志向で

エンディングを迎えましたー拍手。

 

庵野エヴァがまともなエンディングを迎えるのか、

ほんとうに楽しみですね。

 

あと、エピローグの「夏色のエデン」も貞本エヴァならではですよね。

ユイのキャラクターとしっかり向きあえた貞本エヴァだからこそ、

あのエピローグが書けるんですもん。

だいたい旧劇だとゲンドウは「悪かった」って謝りながら初号機に喰われるとか

最低ですからね。

 

 

さて、ここまで一気に書いたけど、

すっきりしたようなしないような。

 

またいつかこれを叩き台にしてきちんとまとめたいなぁ。

風呂敷畳みたいなぁ。

 

 

 あとさ、「貞本」って「資本」と空目してしまいがちですね。

「資本エヴァ」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マイアミとキューバ

マイアミとはキューバです。

そんくらいキューバ人が多いです。

リトルハバナっていうキューバ人街もあるし、

街のそこここにスペイン語の表記があって

地元民もみーんなスペイン語を話します。

だいたい今までの人生でキューバ人なんか会ったこともなかったのに

ここにはすげえいます。

 

なぜキューバ人が多いのか、その元をたどればキューバ革命まで遡ります。

そう、世界史で習ったあのキューバ革命。

野球大好きなカストロ議長(議長ってなんの?)が率いたキューバ革命。

Tシャツ界を席巻しているチェ・ゲバラさんが大活躍したキューバ革命。

 

1959年だかにキューバに革命が成就しましたが、

そのとき社会主義を嫌った多数のキューバ人がアメリカに

亡命してきたのが始まりで、キューバに近いマイアミが

亡命先として好まれたっつーわけです。

 

こうした経緯はネタになりやすいみたいで、

「共産主義者はキューバに残って、ゲイはマイアミに来た」とか

「キューバ人は共産主義者だから全然働かない」とか

なかなかブラックユーモア溢れるジョークもたまに耳にします。

 

そんなキューバですが、近頃アメリカがキューバと国交を回復するのでは、

という報道が流れました。

そうなりゃもう歴史的大事件ですよ。

 

このタイミングでマイアミにいるっていうのも、

なんというかめぐり合わせだなあとも思うわけですが、



これ、どう考えてもかなりデリケートな問題ですよね・・・・。

 

うちのスタッフにもキューバ出身者はたくさんいます。

赴任当初、そのうちの一人の女の子と話す機会がありました。

まともに話すのはそのときが初めてだったのに、

その子は僕になかなか開けっぴろげに

プライベートなことを話してくれました。

20代半ばのその子は10代半ばでキューバから移住してきたこと、

若いときに結婚して子供を生んで今は離婚していること、

だからシングルマザーとして子育てをしていること、

そしてキューバに残してきた家族とは年に一回しか会えないこと。



こちらに来るまで全然知らなかったんですけど、

キューバ出身者には年に一回だけキューバへの渡航が認められているそうです。

国交はないのに渡航できるんですねー。

 

そして、マイアミには彼女のような人がほんとにたくさんいるわけです。

もし国交が回復すれば、自由に家族に会える。



・・どう考えてもデリケートな問題でしょ・・。

 

彼らと彼らの家族が今まで辿ってきた歴史、

祖国への想い。

 

普段のTHE・ラテンなノリからはなかなか想像できませんが、

やっぱり彼らのなかには複雑な感情があるわけで。

 

あくまでも完全な部外者として、当事者だらけのマイアミのなかで

事態の推移をそっと見守りるつもりです。

 

コナンくんと英語

こちらに来て早5ヶ月が経ちましたが、

特に英語がうまくなったのナー、とは思いません。。

 

今困っているのが否定の疑問で訊かれた時の返答。

例えば、"Don't you know that?"(知らないの―?)とか訊かれた場合、

日本語なら「いや知ってるよ」とか「うん、知らない」とか答えると思いますが、

英語だと"Yes, I know"とか"No, I don't"みたいな感じになります。

「うん、知ってるよ」「いや、知らない」みたいな。

なんていうか、逆パターン。

咄嗟に、逆パターン。

 

だから"No,・・・いやいやYes,Yes,Yes!!"みたいな感じになりがち。

無意識で日本語パターン・・・違くね?って気づいてからの必死に英語パターン。

英語初心者あるある。

 

 

 

これでよく思い出すのが名探偵コナンのことです。

 

西の名探偵こと服部平次と表の顔は英語教師、でも実はFBI捜査官の

ジョディ先生が始めて会う回。

 

服部はなぜか英語が話せないフリをしてるんですけど、

ジョディ先生の否定疑問文(日本語)につい英語パターンで返してしまって、

ジョディ先生に英語が堪能なことがバレるというシーンがあります。

 

小さなミスを見逃さないジョディ先生に対して、

そこからいきなりペラペラ英語で鋭く応戦する服部。

 

いかにもコナンくん的な演出で、おいおいコイツら

やっぱ英語もできてほんとなんでもできるんだな!と思っちゃうわけですけど、

 

 

・・・ぶっちゃけ自慢ですよね?

 

 

つーか本気で英語話せないフリするならそんくらい気をつけるだろ!と。頭いいんだから。

なにを実は話せますよ!的なサインをさりげなく散りばめてるんだ、と。馬鹿っぽいのはフリだけ的な。

 

 

でもこういうの、好きです。

 

 

 

やっぱりなにかを上達させようと思った時に

憧れの存在、っていうのは重要だと思うんです。

 

「こういう風になれたらいいな」っていう素朴な、そして芯からの憧憬が

凄くエネルギーになると思うんです。

 

 

いや別にコナンくんに憧れて英語を勉強しよう、なんて思ったりしてる

わけじゃございませんが、

 

次にニューヨークに行った時はブルックリン橋の上で夜景を見ながら痴話喧嘩して、

そのあと彼女を抱き寄せて車から身を乗り出して片足ドリフト走行で爆走、

みたいなのはしてみたいかも、と思ったりはしてます。

 (詳しくは名探偵コナン35巻あたりを参照のこと。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マイアミで競馬する

2015年2月27日、JRA所属競馬騎手の後藤浩輝さんが亡くなりました。

この記事は追悼記事の類ではないので詳細については割愛します。

今はただ、後藤騎手のご冥福をお祈りするばかりです。

 

普通の追悼記事なら別に殊更書く必要はないと思っていました。

故人を偲ぶ気持ちを自分本位にインターネット上に公開したところで

浮かばれるわけでもない、そんな幾分冷めた気持ちもありました。

そもそも大ファンってわけでもないのに。

毎週スポーツ報知の「今日のゴッティ」は楽しみにしてたけど。

 

それでもこの記事を書き始めた理由は、やはり僕がマイアミに住んでいるからです。

ええ、どうせマイアミだからですよ。

 

実は若かりし頃の後藤騎手はマイアミに競馬留学をしていたことがありました。

今から20年ほど前のことです。

 

競馬サークルという、世襲議員もびびる程の地縁血縁が絡まりあっている狭苦しい世界に

なんのコネクションも持たずに飛び込んだ後藤騎手は

これまたステッキ一本携えて遠い異国の地に武者修行に旅立ったという寸法です。

 

当時彼が主戦場にしていたのはカルダー競馬場という、日本の地方競馬場といった

具合の、のんびりした空気が流れるこじんまりとした競馬場でしたが

生憎この時期は開催が行われていないため

マイアミのもうひとつの競馬場、ガルフストリーム競馬場に行って参りました。

 

ガルフストリーム競馬場は、アメリカでも有数の歴史を持つ競馬場だそうで、

ケンタッキーダービーのステップレースとしても有名なフロリダダービーが

開催される競馬場でもあります。

 

競馬場の周りにはショッピングモールの如くレストランやブティックが

立ち並び、背の低い建物のパステルカラーが青い空によく映えます。

さすがマイアミ、競馬場も南国リゾート仕様。

 

それでも競馬自体は日本と特段変わりません。

日本と同じような馬券オヤジがいて、「おれ2番は買ってんだよ!ただ7番が抜けてんだよなー!」とか「3番が出遅れなきゃ当たってたのによー!」とか同じような台詞を吐いてます。

これが競馬オヤジのグローバルスタンダード。

 

ただ個人的には予想のファクターが少々異なります。

というのも僕がアメリカ競馬にさほど詳しくないため、データを持っておらず、データを活用することもできないため、日本ではほとんど見ないパドックを重視する羽目になっております。

でも武豊がパドック見てもわかんないっつってんのに、僕が見てもわかるわきゃありません。

おかげでいつも苦しい戦いを強いられております。

 

それでもいつものようにパドックに陣取って、

くるくる歩き回る馬に眼を凝らしながら、その一挙手一投足に自分勝手な解釈を加えて

(あいつなんかやる気ある目してるな、あいつの歩き方ぎこちなくないか、とかとか)

摩訶不思議な予想を組み立てておりました。

 

そうしてじーっと目の前を歩いている馬やら騎手やらを眺めているうちに、頭の片隅にふとこんな考えが浮かびました。

「あれ、もしかしたら今ここにいる騎手やら調教師やら関係者のなかには後藤騎手のことを知ってる人もいるんじゃないか」

 

確かにそれは十分にあり得ることです。

20年ほど前のこととはいえ、日本人がマイアミに競馬修行に来るなんてのは

めちゃくちゃレアケースだし、たぶんこっちの競馬界もそんなに入れ替わりが激しいわけじゃないだろうから、当時を知る関係者は絶対にいるだろう。そう思われました。

 

すると果たして彼らは今回の後藤騎手の一件を知っているだろうか。

遠い極東の地の出来事。いくらグローバル情報社会とはいえ、彼らがそんな情報を入手しているだろうか。

もしかしたら後藤騎手が世話になったり、あるいは仲良くしていた人たちもいて、でも彼らは今回の一件のことをなにも知らないんじゃないか。

 

そんな風に考え出すと、なんだか居ても立ってもいられなくなり、

そこらへんの人に片っ端から

「おい、あんた!後藤騎手のこと知っているか!?」

なんて尋ねまわりたい衝動に駆られました。

 

もちろんそんな阿呆みたいな真似ができるはずもなく、

ただそれでも後藤騎手が確かにここにいた、そんな痕跡をなんとか見つけたいような、

だがいったい何のために?別にそこまで思い入れもないだろ?

何を感慨に耽ってんだ?自分なりの供養?

なんてどうしようもないことばかりが頭のなかをぐるぐる回っていました。

 

そんなことばかり考えていたからって訳でもないですが、

案の定馬券もサッパリ当たらず、いつものように、いやいつもよりもちょっぴり侘しい気持ちで競馬場を後にしました。

 

それでもまあ勝負には負けることもある、下を向いていたって仕方あるめえ、なんて思って

顔を上げるとそこにはマイアミの真っ青な空。

 

遠い日本ともつながっていれば、20年前のマイアミともつながっている。

もしかしたら後藤騎手がいるところにも。

 

同じ場所から同じ空を見上げた。

とりあえず今日のところはそれだけでいい気がしました。

 

(結局べたべたした追悼記事みたいになってしまったのはご愛嬌ってやつです。)




日本の政治についてマイアミで語る

マイアミは日本人が少ない。(そして僕は友達が少ない)

人口の圧倒的多数は中南米系で、彼らの主な出身地はキューバ、コロンビア、ベネズエラ辺り。

そもそもアジア系自体が超マイノリティで、世界中に生息すると思われる華僑の人々も、ここマイアミではあまり存在感がありません。チャイナタウンもないですし。

 

だからってわけでもないだろうけど、いろんな人から日本のことを尋ねられる機会は多いです。

物価だったり、人の多さだったり、サッカーのことだったり。

まあ他愛無い世間話に過ぎないのはそうなんだけど、質問を受ける立場としてはできるだけ真摯に答えたいと思ったりします。

数少ない日本人と直接話す機会に、誤った情報を流すのも忍びないもんですから。

 

ただし、これが結構難しい。

今までなんとか誤魔化してきたけど、今日の質問には思わず考えさせられました。

 

それは語学学校の授業の休み時間中のことでした。

先生と話しているうちに、話題が今の日本の首相へと移っていきました。

まあ相手は安倍さんの名前も知らなかったんで、ごく簡単なことを話してたんですけど、

彼は僕に次のような質問を投げました。

 

「ミスター安倍はライトなのか?レフトなのか?」

 

いわゆる右翼か左翼かっつー質問なわけですけど、

僕は右翼って言われてるよーって答えました。

これはまあ問題なくすんなり答えましたよ。

(いやもちろんこれについてもいろいろ意見をお持ちの方はいるだろうけど)

そしたら彼は次にこう尋ねました。

 

「そもそも日本においてライト(右翼)ってのは何を意味するの?」

 

僕はちょっと戸惑いました。

ひとまず「保守的ってことだよ」って答えたけど、そんなの当たり前で

彼が聞きたいのは何に関して保守的なのか、っつー話なわけですよ

 

例えばアメリカだと共和党が保守であり、

軍備の充実、中絶・同性婚の禁止、キリスト万歳、反共(ちと古いし、アメリカの国是みたいなもんだけど)なんかが挙げられます。

 

翻って日本国。

とりあえず外交的には中国や韓国などに強硬な態度を取り、

政治的には「大きな政府」を目指して変化を好まない、といった説明をした気がします。

 

でも改めて考えてみると日本で保守って微妙に馴染まないような気がして。。

みんな保守的といえば保守だし、そうじゃないと言われればそうじゃない気がするし。

もちろんこれは諸外国における保守との対比において、って話ですけど。

 

右翼は天皇陛下万歳の国粋主義者、

左翼は共産主義者。

 

ざっとこんな感じのイメージといったところでしょうか。

 

なんとなく理解しているつもりのものでも、

いざ他人に説明するとなると意外と難しい、そんなつまらない話でした。

 

あと、海外で政治やら宗教について話すのは

ほんとに神経を使う、そんなお話でした。