マイアミで競馬する
2015年2月27日、JRA所属競馬騎手の後藤浩輝さんが亡くなりました。
この記事は追悼記事の類ではないので詳細については割愛します。
今はただ、後藤騎手のご冥福をお祈りするばかりです。
普通の追悼記事なら別に殊更書く必要はないと思っていました。
故人を偲ぶ気持ちを自分本位にインターネット上に公開したところで
浮かばれるわけでもない、そんな幾分冷めた気持ちもありました。
そもそも大ファンってわけでもないのに。
毎週スポーツ報知の「今日のゴッティ」は楽しみにしてたけど。
それでもこの記事を書き始めた理由は、やはり僕がマイアミに住んでいるからです。
ええ、どうせマイアミだからですよ。
実は若かりし頃の後藤騎手はマイアミに競馬留学をしていたことがありました。
今から20年ほど前のことです。
競馬サークルという、世襲議員もびびる程の地縁血縁が絡まりあっている狭苦しい世界に
なんのコネクションも持たずに飛び込んだ後藤騎手は
これまたステッキ一本携えて遠い異国の地に武者修行に旅立ったという寸法です。
当時彼が主戦場にしていたのはカルダー競馬場という、日本の地方競馬場といった
具合の、のんびりした空気が流れるこじんまりとした競馬場でしたが
生憎この時期は開催が行われていないため
マイアミのもうひとつの競馬場、ガルフストリーム競馬場に行って参りました。
ガルフストリーム競馬場は、アメリカでも有数の歴史を持つ競馬場だそうで、
ケンタッキーダービーのステップレースとしても有名なフロリダダービーが
開催される競馬場でもあります。
競馬場の周りにはショッピングモールの如くレストランやブティックが
立ち並び、背の低い建物のパステルカラーが青い空によく映えます。
さすがマイアミ、競馬場も南国リゾート仕様。
それでも競馬自体は日本と特段変わりません。
日本と同じような馬券オヤジがいて、「おれ2番は買ってんだよ!ただ7番が抜けてんだよなー!」とか「3番が出遅れなきゃ当たってたのによー!」とか同じような台詞を吐いてます。
これが競馬オヤジのグローバルスタンダード。
ただ個人的には予想のファクターが少々異なります。
というのも僕がアメリカ競馬にさほど詳しくないため、データを持っておらず、データを活用することもできないため、日本ではほとんど見ないパドックを重視する羽目になっております。
でも武豊がパドック見てもわかんないっつってんのに、僕が見てもわかるわきゃありません。
おかげでいつも苦しい戦いを強いられております。
それでもいつものようにパドックに陣取って、
くるくる歩き回る馬に眼を凝らしながら、その一挙手一投足に自分勝手な解釈を加えて
(あいつなんかやる気ある目してるな、あいつの歩き方ぎこちなくないか、とかとか)
摩訶不思議な予想を組み立てておりました。
そうしてじーっと目の前を歩いている馬やら騎手やらを眺めているうちに、頭の片隅にふとこんな考えが浮かびました。
「あれ、もしかしたら今ここにいる騎手やら調教師やら関係者のなかには後藤騎手のことを知ってる人もいるんじゃないか」
確かにそれは十分にあり得ることです。
20年ほど前のこととはいえ、日本人がマイアミに競馬修行に来るなんてのは
めちゃくちゃレアケースだし、たぶんこっちの競馬界もそんなに入れ替わりが激しいわけじゃないだろうから、当時を知る関係者は絶対にいるだろう。そう思われました。
すると果たして彼らは今回の後藤騎手の一件を知っているだろうか。
遠い極東の地の出来事。いくらグローバル情報社会とはいえ、彼らがそんな情報を入手しているだろうか。
もしかしたら後藤騎手が世話になったり、あるいは仲良くしていた人たちもいて、でも彼らは今回の一件のことをなにも知らないんじゃないか。
そんな風に考え出すと、なんだか居ても立ってもいられなくなり、
そこらへんの人に片っ端から
「おい、あんた!後藤騎手のこと知っているか!?」
なんて尋ねまわりたい衝動に駆られました。
もちろんそんな阿呆みたいな真似ができるはずもなく、
ただそれでも後藤騎手が確かにここにいた、そんな痕跡をなんとか見つけたいような、
だがいったい何のために?別にそこまで思い入れもないだろ?
何を感慨に耽ってんだ?自分なりの供養?
なんてどうしようもないことばかりが頭のなかをぐるぐる回っていました。
そんなことばかり考えていたからって訳でもないですが、
案の定馬券もサッパリ当たらず、いつものように、いやいつもよりもちょっぴり侘しい気持ちで競馬場を後にしました。
それでもまあ勝負には負けることもある、下を向いていたって仕方あるめえ、なんて思って
顔を上げるとそこにはマイアミの真っ青な空。
遠い日本ともつながっていれば、20年前のマイアミともつながっている。
もしかしたら後藤騎手がいるところにも。
同じ場所から同じ空を見上げた。
とりあえず今日のところはそれだけでいい気がしました。
(結局べたべたした追悼記事みたいになってしまったのはご愛嬌ってやつです。)